Photo x Programming

写真家プログラマーKのIT効率化術

タカザワケンジ × 上田義彦トークセッション

「上田義彦『A Life with Camera』出版記念 |タカザワケンジ × 上田義彦トークセッション」@ 代官山蔦谷に行ってきました。

一番印象に残ったのが「写真は自分の鏡である」ということ。

そのようなことは他でも聞いたことがあるような気がしますが、その意味する所について深い解説がありました。

まず、写真家が何を見ているかは写真から見えてしまう、ということ。

だから、写真を見られることは恥ずかしい。

テレビ番組で、目線を追跡するセンサーをお笑い芸人やサッカー選手に付け、どこに視線が向いているかをCGの点や線で表示して楽しむ、というものを見たことがあります。

それと同じように、自分が何を見ているか、写真を見ると分かってしまう、バレてしまう、という点で、確かに恥ずかしいかも知れません。

本棚は自分の思考を表している、と言います。
どのような本を読んでいるか見れば、その人がどのようなことに興味があり、何を考えているかわかる。

それと同じように、その人の視線は、撮った写真を見ることでわかるのです。

もう1つは、写真には撮影者の気持ちが映り込むということ。

広告写真など制約があるなかで、形だけシャッターを切るとき、撮影者は心がない状態でシャッターを切っている。

そうすると、写真には撮影者の心が写らず、つまらない写真となる。

だから、上田さんは制約がある商業写真でも、形だけシャッターを切るようなことはせず、よりよい成果を出すために工夫し、自分の意思と責任でシャッターを切る。
そういう点では、商業写真も作品としての写真もプライベートの写真も違いはない、ということでした。

プロフェッショナルな考え方であり、刺激になりました。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」の締めの質問「プロフェッショナルとは?」の回答になりそうな言葉です。

「感動」という言葉は、人は感じて動くということを表しています。

つまり、人を動かすためには、「感じる」ものがなければならない。
「感じる」ものがなければ人は動かない。

撮影者が「感じて動き」シャッターを切り、その感動や情熱が写真に写り、そして写真を見る人に「心」が移る。

これまで、商業写真の撮影についてはout of scopeで、自分が撮りたいものだけを撮るんだ!と思っていましたが、制約のなかでも自分ができることはある。

制約の下で自分の意思をこめて撮影するか、心なくシャッターを押すかは自分次第。

制約があると自分らしさを発揮できないと思っていた、そんな自分ちっさ、と気付かされました。

まとめ

「写真は自分の鏡である」という聞き慣れているが故にさらっと流されがちな言葉について、改めて深く考えるきっかけとなりました。

プロフェッショナルな姿勢について、お手本を見せていただいたトークセッションでした。

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